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KUTANism 2021|九谷焼の芸術祭クタニズム2021
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#05 “絵描き”として独自の表現を追求し続ける KUTANism全体監修・秋元雄史が自ら現場に足を運び、ナビゲーターと対談をするなかで、九谷焼を再発見していく連載シリーズ「秋元雄史がゆく、九谷焼の物語」。第4話から第6話は「技法の継承と個性」をテーマに、九谷焼を代表する技法と技の引き継がれ方に迫ります。今回伺ったのは小松市にある「竹隆窯」の北村隆さん、和義さん親子です。

お邪魔したのは、念仏道場を移築した独特の世界観が漂う工房。九谷焼の特徴ともいえる文様の過剰さを前面に押し出した作品を展開する北村隆さんと、隆さんから作風を受け継ぎつつ、新たな取り組みで自身の表現を広げる和義さん。表現方法は違えど同じように熱い思いを持ったお二人に、九谷焼の魅力や可能性をお聞きしました。

案内してくれた人

北村隆さん(左)、北村和義さん(右)

北村隆さん(左)。1946年、石川県生まれ。1973年、第6回日展に初入選、以降27回入選。第15回日本現代工芸展初入選、以降連続入選。他、数々の展覧会で入選・受賞。1995年、第27回日展にて特選受賞。1997年、伝統工芸士に認定。北前船をモチーフにした作品を多数手掛ける。

北村和義さん(右)。1974年、石川県生まれ。九谷焼技術研修所を卒業後、作家として活動を開始。2002年、第58回現代美術展次賞、翌年、同展佳作受賞。2004年、第36回日展に初出品した黒彩「胡蝶の夢」が初入選、以降、入選を繰り返す。2010年、第66回現代美術展最高賞受賞。企業とのコラボレーションにも積極的に取り組み、タカラ・トミーやベアブリック、ユニクロ、新世紀エヴァンゲリオンなど、数々のコラボ作品を生み出す。

九谷焼に並々ならぬ情熱を注ぎ、
魂を込めた作品を生み出す

秋元:
本日はよろしくお願いします。竹隆窯について、それからお二人のそれぞれの仕事についてお話を伺えますでしょうか。
隆:
恥ずかしいんだけど、わしは陶芸の出身じゃないの。中学を卒業してから、長男ということですぐに働かなくちゃいけなくて。町工場の鉄工所に入って、途中で職業訓練所に通ったんだけど続かず、たまたま近隣の会社から機械を譲り受けられることになって繊維関係の仕事を家の納屋で細々としていたのね。ある時、この辺りには人間国宝の𠮷田美統先生や中田一於先生など有名な先生がたくさんおいでるんだけど、金沢の兼六園などにお土産物の配達を頼まれたことがあったんや。そのときに初めて九谷焼の作品を見て、すごく綺麗で、これええなあって、やってみたいと思ったんや。
隆:
でも、経験もないし美大も出とらん。どうしようかと思っていたら、死んだ母親に「そんなにやりたかったら、昼間仕事して夜勉強してみたら」って言われて。うちの近くにある九谷焼産地問屋「九谷極彩 中田龍山堂」に、細描が得意な腕のいいおじいちゃんがおってね。「じいちゃん上手いな」って言うたら、「わしは今75歳やけど、職人になった方がええぞ。職人は腕さえ持ってれば、一生食べるのに困ることはないぞ」って。
隆:
わしは当時、20歳そこそこだったんだけど「中学しか出とらんし、美大も出とらん。それでもできるか?」って聞いたら、「バカ!俺は小学校も出とらん。職人に学歴は要らん」って言われて。それでじいちゃんに色々教えてもらって、でもね、初めは誰も相手にしてくれなかった。ほんで、どうしたらいいかなあと思っていたら「偉い先生に見てもらわないとだめや」って言われて、それで二代・浅蔵五十吉先生を紹介してもらって教わりに行ったんや。浅蔵先生のもとで学んでいるときに日展に出品して初入選して、それから何年か連続で入選した。
秋元:
日展入選は、この仕事を始めて何年目くらいだったのでしょうか。
隆:
26、27歳だったから始めて5、6年経った頃かな。でも入選はしても、なかなか賞が取れなかった。そのうちだんだん賞が欲しくなってきて、金工家で石川県美術館館長も務めた高橋介州先生に相談したり、大樋長左衛門先生や橋田与三郎先生を訪ねてアドバイスを受けたりして。
秋元:
大物の先生方ばかりじゃないですか笑。
隆:
橋田与三郎先生には「いい作品を作ってもってこい」って言われて。「いい作品ってどんな作品や?」って聞いたら、「誰が見てもいい作品や。そんなこと聞くな、お前の感性で作ってこい」って笑。それで仕上がったものを見せに行ったら、形や色について意見をくださって、その結果、特選を受賞したんや。
秋元:
名だたる先生方から直接ご指導いただいたんですね。圧倒的だなあ。これまでずっと展覧会をベースに作品を作ってきたのでしょうか?
隆:
展覧会はベースにしていなかった。
秋元:
それでは生計はどのように立てていたのでしょうか。当時は日本国内の景気も良くて業界としても右肩上がりの時期だったと思うのですが、展覧会は別として、そういった作品はどこへ卸していたのですか?
隆:
生活のためには、とにかく一般の方に手に取ってもらえる作品を作らなきゃいけないと思って、それで金箔に鶴の絵を描いた作品を考えついたんや。九谷の場合は作家の作品をまとめたカタログを組合が作ってるんやけど、当時はギフト需要で縁起物が人気で、これが大ヒットした。
秋元:
日用品としての九谷焼というよりも、花瓶や花生、壺など観賞用が多かったのですね。お話を伺っていると、ずいぶん順調にここまでこられたようですが。
隆:
苦労した時期もめっちゃある。初めの頃はずっとお金に余裕がなくて、とにかく月10万円売るのが夢やった。ちゃんとした工房もなくて廊下で一人で描いとってんもん。この仕事を始めて10年間は全く売れんかったね。
秋元:
この作品が生まれたのはいつ頃なのでしょうか。
隆:
これはだいぶ後になってからやね。あるとき、東京の美術館に尾形光琳とか俵屋宗達を見に行ってん。「これええな」思ってな。それで影響を受けたんや。
秋元:
琳派(※)ですね。

(※)17世紀初めの俵屋宗達や18世紀初めの尾形光琳らによって京都の町人文化として生まれ、19世紀初めに酒井抱一や鈴木其一らによって江戸(現在の東京)に引き継がれた、都市の美術。屏風などの背景に金地や銀地のみを用いて、自然や人物、動物などをモチーフに描く。有名な作品に「風神雷神図」(俵屋宗達)がある。

隆:
琳派や。金沢の金箔を使って、どっちか言うと琳派を真似たみたいなものやけど、当時はこれがよく売れた。これのおかげで、ご飯を食べることができた。わしが40歳のときだから、今から35年前くらいのことやね。
秋元:
80年から90年代にかけては、九谷焼が最も売れていた時代ですね。かなり景気が良かった頃かと思いますが、やはりギフトは飛ぶように売れたのでしょうか?
隆:
九谷焼の全盛期やな。8号線沿いとか兼六園の土産物屋に作品を持っていくと、団体旅行の観光客がみんな買って行ったんや。当時はこれがわしの基本だった。今は船ばっかり描いとるけどね。
秋元:
北前船、次のテーマですね。
隆:
加賀市橋立に「北前船の里資料館」があるんやけど、わし、初めて北前船の歴史を知ったときに感動してな。北前船のロマンを作品にしたいと思ったんや。日本中探してもな、船を描いとる作家っておらんの。でも、わしはものすごく興味を持って「これを残そう」思って学会にも入って勉強して、ほんで描いたんや。初めは誰にも相手にしてもらえなかったけど、だんだん人気が出てきた。
隆:
もう一つ、わしはものすごく古九谷の色を作りたかってん。なんでや言うたら、誰も色の調合を教えてくれんくて。福山虎松(※)とかの作品を元に色を作ろうとしてみたけど、当時と全く材料が違うから、なかなか上手に色が出ない。それを長年研究して完成したのが今の色ねん。

(※)明治時代の陶工。井上商店「陶源堂」窯にて、古九谷風の絵付けに励んだ。

秋元:
古九谷の色は誰からも教わらずにご自身で作られたのですか!?さらっと語っていますけど、皆さんだいたい古九谷の再現に苦労していますよね。
隆:
だって師匠がおらんかったもん。本物を買って勉強したんや。たくさん持っとるぞ。たぶん作家の中で一番古九谷を持っとるのはわしやと思うな笑。
秋元:
すごいなあ。相当高かったでしょうに。
隆:
この皿見てみて。これが俺の色ねん、九谷にしてはいい色やろ。触ってみると分かると思うけど、これだけ盛れとるんや。
秋元:
重たいですね、本当にすごいなあ。一言に釉薬を研究すると言っても相当大変ですよね。
隆:
大変やった。けど、苦労したことを誰かに言うたってしゃあない。禅から教わったんやけど、百回失敗しても一回良いもんができたら全部忘れる。そんなもんや。
秋元:
それにしても、なかなかその境地には辿り着けないですよね。
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