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KUTANism 2021|九谷焼の芸術祭クタニズム2021
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#AFTER TALK 2021年度ライブラリ、全9回の取材を終えて。 KUTANism全体監修・秋元雄史が自ら現場に足を運び、ナビゲーターと対談をするなかで九谷焼を再発見していく連載シリーズ「秋元雄史がゆく、九谷焼の物語」。「九谷焼はいかにして生まれ、使われてきたのか」をテーマに様々な場所を訪ね歩いた2020年度に引き続き、今年度は “技法”と“伝承”をキーワードとして、九谷の魅力を系譜を紐解きながら探りました。九谷焼の技法を伝える教育の場や、親子で受け継がれる様子、産業の面から九谷焼を支える現場などへの取材を秋元さんと共に振り返り、「アフタートーク」としてお届けします。

九谷焼の過去と現在をパラレルに見ながら

秋元:
今年の大きなテーマとして、昭和から平成、令和と第一線で活躍している方々の仕事を通じて九谷焼の系譜を辿るという狙いがありました。また昨年の取材を通して「九谷焼の全体像を改めて捉えていく」作業が今一度必要だと考えており、古九谷の史跡や再興九谷の窯跡を訪れたり、輸出や流通の歴史を知る方に話を伺ったりすることによって、過去と現在、両方の面から九谷焼を見つめ直すことを目標としていました。

面白いと思ったのが、一般的に九谷焼を語る際には古九谷を原点とする論調が多いと思うのですが、今回の取材を通じて、むしろ再興九谷を軸にして輸出九谷や昭和九谷を考えるという見方があっても良いのかなということです。また九谷を形成した大きな時代の枠組みを認識することの重要性を改めて感じました。それぞれの時代のなかで、色々な社会のニーズに合わせて多様な様式が生まれてきた、その総体として今日の九谷焼があるという感じでしょうか。

昨年はそれを「九谷焼の特徴を“分断”にあると考えてみると、360年の分断と接続の歴史は、九谷焼そのものだと言えるのではないか」と表現したのですが、そこから少し発展して、意図的に断ち切ったようなイメージのある「分断」よりも、時代の移り変わりと共に展開してきたものの総称が九谷焼なのだと思います。

「技法」ではなく「様式」としてとらえる

秋元:
第2話で九谷焼の礎となった場所を訪れて感じたことは、幻の九谷様式を復活させた吉田屋窯をはじめ石川県内の九谷の産地は、九谷焼を単なる「技法」としてではなく、美学をもった「様式」と位置づけ、地場の重要な産業として今日まで引き継いできたということです。様式として解釈する視点があるからこそ、九谷は「九谷」として、独立して語られる存在として、今も存続しているのだと思いました。

一方、最近の磁器研究は連綿と受け継がれる文化としての様式という視点を欠いた、材料・技法のご当地論に偏ってしまっているように思います。どこの土を使用し、どこではじまったかを知るのはもちろん大切なことですが、それがどんな世界観をもった美的な様式として継承してきたか、どのような系譜を辿ってきたかを問題にしないのは残念なことです。

ここで改めて「美の様式」としての「九谷」を知るきっかけを持つことができたのは、嬉しいことでした。九谷を語ることが技術ではなく美術の問題であるならば、誰がどんな美意識を歴史の中で引き継いでいるかが話の核心だということです。「琳派」を語るのにどこの材料でできているかを語る必要がないのと同じことが、九谷様式を語る上でも言えるのではないかと思います。

展覧会を中心に発展した昭和九谷から、次の時代へ

秋元:
大きな流れとして再興九谷、輸出九谷に続いて、日展をはじめ展覧会を中心に発展した作家工芸の時代がありました。工芸が単なる職人による仕事からアーティスト思考の強い芸術作品へと変わっていったのが戦後で、この時期に素地や絵付けを分業していた時代から一貫生産へと移行しました。九谷焼の多様性を生み出しているベースは、昭和のアート工芸にあると言えるでしょう。しかしそれも時代と共に一つのピークを迎えて、次の時代に移行している印象があります。

例えば第4話でお会いした浅蔵一華さんや宏昭さん、第5話の北村和義さんは、近年では展覧会への出展はほとんどしておらず個展がメインだとおっしゃっていました。最近ではこのような動き方をする作家が増えていて、それにより、さらなる多様性や個性が生まれているように感じます。

北村さんの話を伺いながら感じたのが、いつの時代でも作品の方向を決める強い要因に、購入者の好みがあるということです。一方で、誰に向けて作品を作っているかを意識することは重要ですが、どのように作家性を確立するかというのも大事なポイントです。作り手の個性とそれを受け取る購買者がいて初めて作品は流通するわけですが、そもそも作家性がなければ始まりません。いまの九谷は「作家性」を前提にして産業が成り立っており、当分の間、この「個性の確立」というテーマは重要な要素として続いていくのだと思います。

代々続く技法を継承することの難しさ

秋元:
取材を通じて技法の様々な受け継がれ方を見てきましたが、第6話で田村敬星さんとお会いして、家業というものを改めて考えるきっかけになりました。家業を継承するということは、何か教条があってそれを引き継いでいくものでも、血のつながりによって自然に受け継がれていくものでもなく、それぞれの代で意義を見出すことによって途切れずに続いていくわけですよね。それを田村さんは「駅伝をつないでる気分」とおっしゃいましたが、気概を持って家業と向き合い、自身のアイデンティティと結びつけつつ、かつ時代の流れに沿いながら芸術的領域にまで高めていくというのは、大変素晴らしいことだと思いました。

産業の視点で新たな可能性を探る

秋元:
第7話「輸出九谷」の話のなかで、固定相場制から変動相場制への移行が九谷焼の転換点だったというエピソードがありました。当時はそれに加えて国内での人件費の高騰や貿易摩擦などの背景により輸出が立ち行かなくなっていくわけですが、失われた30年を経て、現在の日本は改めて輸出をしやすい環境にあるといえるのではないでしょうか。

そういう意味では、作家工芸以外の可能性の一つとして、北野陶寿堂や青郊の動き方は非常にユニークだと思いました。ネットショップの充実や海外販路の開拓、また転写技術に独自の付加価値をつけたり商品開発を工夫したりすることにより新たな道を切り拓いている。産業として厳しい状況が続いている一方、復活の兆しというか構造転換のようなものが起きているように感じ、希望の光が見えた気がします。

産地の底上げを図るために

秋元:
石川県立九谷焼技術研修所で、ここ最近の傾向として、ほとんどの若手が作家を目指しているとお聞きしました。若手作家が第一線で活躍する姿を見てそれに憧れるのは素晴らしいことだと思いますが、産業としての九谷を維持・発展していくという観点では、やはり産地を支える職人、流通やブランディングを担う問屋の存在も欠かせません。また、点在する小さな工房を束ねてマネジメントをしたりブランディングをしたりすることができる企画会社のようなものが必要なのではないでしょうか。

もう一つは九谷焼がこれまで大切にしてきた伝統的な技法を、いかに「今」の商品に展開していくかということです。ヨーロッパを例にとって見ると、エルメスにしてもシャネルにしても、ハイブランドが伝統的な技法や工芸的な職人技術を現代のファッションに上手に取り込んでいますよね。九谷の場合もブランディングを上手く行うことによって、商品づくりに生かしていくことはできると思うんです。

地域の枠を取り外して見つめ直す

秋元:
昨年と今年の取材を通じて、再興九谷と呼ばれるものを歴史的に見直していくことができたと感じているのですが、それがどう輸出九谷に繋がっていったのかをもうすこし深掘りしてみたいと思いました。九谷庄三が果たした役割や、それが輸出九谷に与えた影響というものを明らかにしたい。このときに相当、技法のバリエーションが増えて、九谷焼の多様性の土壌が作られた気がしています。

また、輸出九谷の時代は他の産地から生地を仕入れて絵付けをしたり、九谷の職人が県外へ出向いて「名古屋九谷」や「神戸九谷」、「横浜九谷」というものを作っていたという話がありましたが、オールジャパンとして輸出に取り組んでいたときに、九谷は他の産地といかに手を組んだのかというのが次のテーマかなと思います。地域という枠を一度取り外して考えてみると、新しく見えてくることがありそうです。

時代や社会、環境と共に変化し続ける九谷焼

秋元:
九谷焼は決して世の中から独立したものではなく、国際情勢や国の政策、社会の変化などの影響を受け、またそれらに柔軟に対応して姿を変えながら今日まで続いてきました。工芸とはその土地に根付いたものであると同時に、外部から様々な刺激を受けながら進化を遂げるダイナミズムを内包しているのです。

「九谷磁器窯跡」や「九谷焼窯跡展示館」を訪れて九谷焼の成り立ちを改めて学び、志を持って再興九谷の時代を築いた人々や、明治以降にオールジャパンで海外輸出に取り組んだ人々など、歴史を作った「人」たちの生き様を知りました。また職人や作家、卸売業など現在の九谷焼に携わる様々な人々を取材し、いつの時代も地道な努力によって、その時代に合った最適解のようなものを模索しているように感じました。

どの時代にも決まった答えがあるわけではなく、その時々で一生懸命答えを探していくことが、新しい九谷や未来の九谷を作ることにつながるのだと思います。今回、歴史を振り返ると共に今の九谷を支える人々の仕事ぶりも拝見しましたが、昔も今も時代を切り拓いている人は同じように素晴らしいとしみじみ思いました。

(取材:2021年8月)
【PROFILE】秋元雄史/東京藝術大学名誉教授。練馬区立美術館館長。「KUTANism」総合監修。