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#06 「毛筆細字技法」で日本の詩歌の世界を展開する KUTANism全体監修・秋元雄史が自ら現場に足を運び、ナビゲーターと対談をするなかで九谷焼を再発見していく連載シリーズ「秋元雄史がゆく、九谷焼の物語」。第4話から第6話は「技法の継承と個性」をテーマに、九谷焼を代表する技法と技の引き継がれ方に迫ります。今回伺ったのは、毛筆細字の技法を用いて独自の美を表現する三代・田村敬星さんです。

漢詩や和歌といった古典文学を極細の毛筆で磁器に描き込む技術「毛筆細字技法」。目を見張るほど精緻で美しく描かれた細字は、焼き物の世界ではほとんど見ない大変珍しい技術です。明治期から1世紀以上、四代にわたって一子相伝で受け継がれ、現在は三代・田村敬星さんと娘であり四代の星都さんによって守られています。毛筆細字技法について、またこの技術がどのようにして生まれ、いかに受け継がれてきたのかをお聞きしました。

祖父に強く勧められ、19歳で九谷焼の世界に飛び込む

田村敬星作「万葉集彩色八角香炉」

秋元:
なるほど。花器のような大きな作品に展開していくのは最近になってからなのですね。それ以前は手のひらに収まるようなサイズで世界観を表していた。それが田村さんの代になって、ある程度の大きさも必要になってくるでしょうし、文字以外の部分も含めた全体として作品を作っていくようになられたということでしょうか。
田村:
はい。仕事の人生設計と言いますか、50歳までは色絵だけでも作品としてそれなりに評価できるものを作りたいと思っていたのですが、50代に入ってからようやく、自分だけが持つ技法として細字を中心とした作品に取り組むようになりました。
秋元:
田村さんはどのような経緯でこの世界に入ったのですか?
田村:
祖父から後継者になってほしいと言われたこと、また九谷焼業界や産地問屋さんたちからの勧めもあり、19歳でこの道に入りました。今から約50年前ですので、当時祖父は72歳ぐらい。正直なところ祖母も私の両親も心配して反対されたのですが、祖父からのものすごい希望がありまして。
秋元:
おじいさんの強い要望があったのですね。田村さんは現在72歳になられるとのことですが、初めの頃は高度経済成長期だったということもあり、今と生産方法が違っただろうと思います。例えば量産的なことをすることもあったのでしょうか。
田村:
一切なかったですね。昔から一人でできるだけの数しか作っていません。ですので景気が良い時期も、ほとんど自分には関係がありませんでした笑。
秋元:
工房のように職人を抱えるということは全然しなかったということですか?
田村:
はい。私の場合は娘の星都(せいと)が唯一の弟子になるんです。歴代ずっと一子相伝で、一族のなかで最もこの仕事に適した人物が継いでいる形です。ですので家族以外の方で、この仕事を志して門を叩いた人は誰もいません。この仕事は自分自身の生活を成り立たせるのも一苦労なので、それを考えますと、なかなか他の方に教えるというようなところまでできないんですね。もう一つは数も作りませんし、全ての作業を一人で行っているので手伝っていただく仕事がないのです。
秋元:
なるほど、田村さんは絵付けまで全て自分で行っていらっしゃるので、お弟子さんにお願いする下仕事のようなものがないということですね。
田村:
そうですね。あとは私自身の性格ですが、せっかく自分で文字を描いたものを、他の方に絵付けしてもらいたくないんです笑。ただ、自分一人で続けてきたことが果たして良かったのかどうか。やはり疑問に感じたこともあります。

四代・田村星都さんは大学卒業後に修業に入り、平成19年(2007年)石川県立九谷焼技術研修所実習科修了後、石川県小松市に工房を構えた。画像は「萬葉集和歌赤絵陶匣」。

秋元:
最近では星都さんの活躍もあって、細字の魅力がどんどん知られるようになってきていますね。
田村:
近年は釉薬にしても色々な材料が手に入るようになって、ずいぶんと作りやすくなっていますし、窯にしましても昔は薪窯だったのが現在は電気窯など自動で温度が調整できるようになっているので、かなり技術的にも作業しやすくなりましたね。
田村:
それでは、実際に細字を描いていきます。
秋元:
細字用の釉薬は相当粘り気があるのですね。
田村:
これはマンガンを主体とした釉薬なのですが、釉薬の調合と筆作りが大変重要なんです。自分の手に馴染む筆を作れるようになれば、美しい文字を早く描けるようになります。

田村さんの仕事机の上には必要最低限の道具のみが置かれている。

秋元:
ずいぶんと筆がたくさんありますね。こちらは使い分けているのでしょうか?
田村:
筆はたぬきの毛で作られているのですが、消耗が激しいので一本で20首ほどしか描けないんです。ですので何本も用意しておいて、使い分けながら文字を描いています。筆は初代の頃からずっと同じ京都にある筆屋さんから仕入れていて、自分で調整して使っています。

流れるような速さで筆を進め、あっというまに一句を描き終える。

田村:
分かりづらいのですが、細字技法の一つのセオリーとして縦の線は下から上に引っ張ってきます。通常の文字の描き方とは全く違うんですね。
秋元:
思ったよりかなりスピードが早いですね!その太さの筆で、よくここまで細かく描けるなあ。
田村:
指先には本当に微かな力しか、かかっていません。筆の先端を少し切ってありまして、その角度によって線を太くしたり細くしたりしています。
秋元:
描き進めるにつれてどんどん下がっていきますが、湯呑などの内側に描く場合は、当然奥の方が描きづらくなりますよね?
田村:
そうですね。奥に行けばいくほど筆が立っていきます。一度、「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」と描いてみましょうか。
秋元:
やっぱり書き順が違うので途中まで全くわからないなあ笑。本当に細かい仕事ですね。
田村:
湯呑みの内側に文字を描く場合、上の方はそうでもありませんが、奥の方へ行けば行くほど、縦の線を上から下へ引くよりも下から上へ引いたほうが合理的に描きやすいんです。これを初代が一字一字、書き順から考えまして。外側に描く際も全く同じ書き順です。ですので初代から四代の星都まで、書体は自然と似ていますね。
秋元:
想像していた以上に複雑だなあ。本来の書き順ではない独自の方法で書の美しさを極めるというのは相当難しいことだと思います。
田村:
付け加えますと、墨汁ではなく釉薬を使うので線が伸びないんですね。ですので一字、二字描いては釉薬を付けてということを繰り返しています。
秋元:
それを立体物に描くとなれば、かなり大変ですよね。ものすごい集中力も必要となるのではないでしょうか。
田村:
そうですね。そこはもう雑念を捨てるというか笑、本当に描くことだけに集中しています。最近はどちらかと言いますと、何か面白くないことがあったときに筆を持つと落ち着くということもあります。

田村敬星作「新古今集手付銚子」

田村:
もう一つ工夫していることと言いますと、例えば百人一首を描く場合、文字と文字との間に余白が生まれてしまっては美しくないので、隣り合う文字のバランスを見て、文字の大きさを調整しながらパズルのように埋めていくんです。最終的に文字を描き終えたときに、それが文様のようにまとまって見えるよう仕上げています。
秋元:
一文字ずつの美しさというのはもちろん、全体としても文字が整然として綺麗に見えるよう配置を工夫しているということですね。一日にどれくらい作業をしていらっしゃるのですか?
田村:
文字を描くのは午前中の明るい時間帯なのですが、一時間にせいぜい5首ほどしか描けませんので、そんなに多く描くことはできないですね。午後はデザインや色絵、次に描く詩の選別などを行っています。ですので私の場合は本当に作品の数が少ないんです笑。
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