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#01 九谷の技術を引き継ぐ教育の場 華やかな九谷焼をかたちづくる多くの「技」は、いかに生まれ、どのように展開し、そして受け継がれているのでしょうか。KUTANism全体監修・秋元雄史が自ら現場に足を運び、ナビゲーターと対談をするなかで九谷焼を再発見していく連載シリーズ「秋元雄史がゆく、九谷焼の物語」。

2020年度は「九谷焼はいかにして生まれ、使われてきたのか」をテーマに、陶石の採掘現場から、花形である上絵付の工房、さらに九谷焼が実際に使われる料亭まで、九谷焼にまつわる様々な場所を訪ね歩きました。 九谷焼の魅力は様々な技法を駆使して多彩な様式を生み出し、個性的な磁器生産を時代の変化に合わせて行なってきたことにあります。2021年度は “技法”と“伝承”をキーワードとして、九谷の魅力を、系譜を紐解きながら探っていきます。

第一話は昭和59年の開設以来、多くの作家や職人たちを輩出している「石川県立九谷焼技術研修所」を訪問しました。今日の学びの中心地である研修所は「将来の九谷焼を担う人材を育成する」ことを目的として、九谷をはじめ陶芸に関する実技と理論を効率的に学べるカリキュラムを編成。幅広い分野から第一線で活躍する一流の講師を招き、質の高い指導で評判です。本科、研究科、実習科の三学科からなり、初心者向けの基礎知識から九谷焼産業従事者を対象とした専門的な技能習得までの様々なカリキュラムを展開しています。前半は研修所の技術指導課長の藤原元先生に研修所の概要について教えていただき、後半は学生の技法習得の様子を見学。「古九谷写し」の山中國盛先生、「型打ち成形技法」の山本篤先生の授業におじゃましました。

九谷焼の「絵」の大切さを、古九谷を写すことから学ぶ。

「古九谷写し」の担当講師を務める九谷焼作家の山中國盛先生。日展や現代工芸美術展などで古九谷様式を基にした作品を発表してきた。古九谷様式は文化勲章受章者の二代目・浅蔵五十吉に学んだ。

器にデザインを転写した上から、丁寧に絵付けをしていく。

藤原:
ここでは山中國盛先生の指導のもと、今年入学した学生たちが「古九谷写し」を学んでいます。この授業は本日が最終日となります。
秋元:
古九谷写しの授業は、全部で何回あるのでしょうか?
山中:
毎週月曜から金曜の午前中に授業があって、だいたい20回くらいですね。生徒の中には、2枚目の器に取り掛かっている人もいます。人によって手の速い遅いもありますし、美術経験者もいれば、そうでない人もいるので、それぞれの生徒にあった進め方をしています。

今年4月に入所した学生は全14人。年々、女性の比率が増えている。

秋元:
相当な回数を重ねて、ここまで辿り着いているんですね。流れとしては図柄を写すところからはじまり、器の中に転写して色を載せていく手順で、まずはダイジェストで一度経験してみるってことでしょうか。
山中:
生徒たちにとって、4月に入所してからこれだけ長い時間をかけて行う授業は初めてになりますね。それ以前に基本的な筆の扱い方などを勉強しますが、学生たちは古九谷写しの授業で、豪快な構成で彩色が重厚な九谷の特徴を一連の技術習得を通して学びます。私たちとしては、ただ経験するのではなく、いずれは一人一人が自信を持って、九谷というものをこの地でやっていけるようになればいいなと思って指導しています。
秋元:
まずは九谷焼のおおもとである古九谷から学ぶということですね。いま授業で教えている技法と当時の古九谷の技法との違いはあるんですか?
山中:
基本的に同じだとは思いますが、現代では全ての作業が洗練されていますから、それと比べると当時は色々な意味で試行錯誤の時代だったと思います。例えば発掘された古九谷を見たときに、技法の完成度という観点だけで見比べれば、実は、なかなかまともだと言えるものがないんですよね笑。粘土の作り方も現代ほど洗練されていないですし、それから生掛け(※)であるという感じなんで、上絵付けが剥離というか起き上がるなどしてしまうんです。現代では素焼きをしてから本焼きをした後に上絵付けをするという工程ですので、そのようなことは起きないのですし、様々な工程の完成度が異なっています。

(※)成形したまま、素焼しない素地に釉薬を掛けること

古九谷写しの授業で使用している作品。

秋元:
ここで教えている古九谷写し、いわゆる古九谷様式の制作方法についてですが、研修所で皆さんに教えられるように安定した技法として完成度が増し体系立ったのは、いつ頃だったのでしょうか。
山中:
我々の時代、私がちょうど大学を出た頃なので昭和52年頃になりますが、当時はこういった学びの場がなかったものですから、私は二代目・浅蔵五十吉に弟子入りをして、九谷の全般を教わりました。その浅蔵先生の師匠である初代・徳田八十吉は古九谷、吉田屋の青手に惹かれて九谷五彩の研究に没頭し多くの釉薬の開発した人物なのですが、浅蔵先生は初代・徳田八十吉に付いて修行する中で、古九谷や吉田屋風な深い色絵の具の扱い方を学んでいます。 初代徳田八十吉は、明治時代に古九谷から吉田屋へと続く古九谷様式の再生に生涯をかけて研究して再現しています。そして、その弟子である二代目・浅蔵五十吉は、それを基にして青手古九谷や吉田屋風の緑、黄、紫を基調とした作品をつくっています。私は二代目・浅蔵五十吉から学んだ内容を、研修所開設当初の昭和59年から「古九谷写し」の授業で伝えているわけです。
秋元:
すると再興九谷と呼ばれた時代に再現された古九谷の青手と、山中先生が学生さんたちに教えているものは、いまでもそんなに変化していないということでしょうか。
山中:
基本的には同じものだと思います。
秋元:
つまり学校教育用に合理化したり簡略化したりしているってことはなくて、初代・徳田八十吉らがああでもないこうでもないと再現して体系立ててきたものを、そのまま取り入れているということですね。
山中:
二代目・浅蔵五十吉は子どもの頃に父から素地を教わり、その後、初代・徳田八十吉に師事して九谷を学びました。その技術を基に、さらに、近代的な色絵の名工である北出塔次郎(きたでとうじろう)に就いている。ですので徳田と北出、両方のエッセンスというのを持っているんです。そこに今度は、自分自身の新たな解釈や表現方法を加えて独特の世界をつくられた。それが認められて文化勲章を取られ、九谷焼業界の重鎮として後進の指導にも力を注ぎました。その後を私が引き継ぎました。
秋元:
初代・徳田八十吉から二代目・浅蔵五十吉へと続く中で、技法としての古九谷様式のさらなる発見や完成があった。作家個人がまずその価値を見出し、直に学んで、技を引き継いできたということ。そして、それらの発見の恩恵を今では多くの職人や作家が受けているということですね。
秋元:
古九谷写しの制作のプロセスで最も掴むべきポイントって何でしょうか。
山中:
色々ありますね。技術面では、まず運筆や構図の見方などを学び、それから実際に器の曲面に合わせて墨書きをして、濃淡を付けながら上絵付け(※)をしていきます。それから古九谷というものの価値の捉え方ですね。現代の造形や絵画などと照らし合わせて、当時の古九谷は本当に美術と言えるのかとか、この時代にこんな技法ができるんだとか、どんなことを考えてこの図案にしたのかとか、そういったことを皆さんと一緒に考えていくなかで、各々がそれぞれの発見ができるようにしています。

(※)「九谷五彩」と呼ばれる、緑(青)・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して絵付けするスタイルのこと。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれる。

秋元:
今度は生徒の皆さんに話を聞いてみたいと思います。研修所に入ってきた動機や実際に古九谷を写してみた感想があれば教えてください。

「古九谷写しの授業で、色絵そのものの見方が深まった」と言う。

生徒:
私は神奈川県出身なのですが、転勤でたまたま石川に来て九谷を知りました。もともと伝統工芸品は身近じゃなかったけど、石川って工芸がすごく身近じゃないですか。そこに魅力に感じて、だんだん九谷焼を好きになって、自分でもやってみるかと思ってここに来ました。

敷地内にある錦窯(色絵付窯)。古九谷写しの授業で制作した器を焼成する。

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